町指定文化財 5件を指定|福島県南会津町

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町指定文化財 5件を指定

(1)河原崎城跡(1)河原崎城跡

(2)木造大日如来座像(2)木造大日如来座像

(3)聖観音厨子(3)聖観音厨子

(4)奉額絵馬(4)奉額絵馬

(5)黄檗円通詩偈及び龍水如活禅師添書(5)黄檗円通詩偈及び龍水如活禅師添書

 南会津町文化財保護審議会(辺見輝夫会長)はこのたび、史跡1件、美術工芸品3件、歴史資料1件の計5件を町の文化財に指定するよう答申しました。平成25年3月22日に開催された定例教育委員会で正式に町指定文化財に決定しました。
今回の指定予定の5件を加え、町指定文化財は合計91件になります。

(1)河原崎城跡(かわらざきじょうあと)
 南郷地域和泉田地区の南側に位置する戦国期の山城。
 新編会津風土記によると、伊南郷河原田氏の家臣五十嵐和泉守(いがらしいずみのかみ)の築城とされています。
 天正17年(1589年)には河原田氏と伊達氏との壮絶な戦いの場となりました。
 主な遺構は、麓にある舘跡と山頂部の曲輪(くるわ)群からなり、土塁や空堀も9つ存在しています。
 山頂からの視界は広く、伊南川対岸に位置する梁取城跡など、他の山城群との情報伝達や中継基地として戦略上重要な拠点であったことがわかります。

(2)木造大日如来座像(もくぞうだいにちにょらいざぞう)
 南郷地域片貝地区の不動寺(真言宗豊山派)の本尊で、総高183cm、像高68cmの寄木造(よせぎづくり)で、江戸中期の作とされています。
 保存状態も良好で両手は結跏趺坐(けっかふざ)の上に置き法界定印(ほっかいじょういん)を結び、眼はよく開いて正視し白毫(びゃくごう)には水晶が埋められています。肌部は金色に輝き、臂釧(ひせん)、腕釧(わんせん)とも美しく、納衣は左肩の片方を覆い数条の浅い襞が見え、宝冠は華麗で細かい透彫りで前部を飾り、長い冠帯も左右とも残っています。台座は五角形の蓮華座で、船形光背(ふながたこうはい)は巻雲模様で飾り、頭光は丸く光身部も薄い黄金色に染められています。
 全体的に落ち着いた優しいつくりをした胎蔵界大日如来像です。

(3)聖観音厨子(しょうかんのんずし)
 厨子とは、仏像などを中に安置する仏具の一種です。この厨子は、南郷地域の不動寺が開山した寛保3年(1743年)に本堂に納められていますが、厨子に書かれている古文書から同地域の仲丸家との関係が深く、同年に信州などの比丘尼をはじめとする仏教関係者3名が訪れています。厨子には経典と五寸八分の聖観音像が納められていました。厨子左右の扉に掘られている十三仏の彫刻は繊細で高度な技術が施されています。また、両扉に描かれている蓮などの花の絵もみごとな描写で、奥深い色彩は優美さが漂っている。厨子内部の細工・意匠も繊細な工芸技術が施されており、当地域においてこのような美術性に優れた厨子は大変珍しいものです。

(4)奉額絵馬(ほうがくえま)
 この絵馬は、文政11年(1828年)旧伊南村大字白沢に生まれ、後に幕末の会津の画人遠藤香村に師事した地元絵師の渡部南嶽が明治23年に製作したもので、絵には神功皇后の三韓征伐と思われる様子が描かれており地元絵師の渡部南嶽が明治23年に製作したもので、絵には神功皇后の三韓征伐と思われる様子が描かれており大きさは横160㎝、縦111㎝で、絵馬の大きさとしては当地域随一のものです。筆の描写、絵の構成力、彩色なども絶妙で大変優れており、画風全体的に調和のとれた力強い作品です。

(5)黄檗円通詩偈および龍水如活禅師添書(おうばくえんつうしげおよびりゅうすいじょかつぜんじそえがき)
 この歴史資料は、江戸中期に南会津地方を中心に若松や北関東方面で僧のかたわら多くの民衆を病などから救った医僧として知られる龍水如活禅師が、享保4年(1719年)に京都宇治の黄檗宗総本山である萬福寺において高僧円通道成大和尚が書いた詩偈を授与され、これにより禅師が当本山の正式な僧として認められたことを証する大変貴重なものです。さらにその経緯等について禅師自らが書いた添書きは数少ない貴重な遺品であり、両資料は田島地域中荒井の渡部正平氏が一軸に表装し、家宝として大切に保管されてます。


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